『牧場の少女カトリ』の第4巻、収録話のうちの一本に、カトリが棒を両手で握りしめ、目を見開いて叫ぶカットがある。普段の穏やかな表情とは明らかに違う、緊迫した芝居だ。前後を追っていくと、これは狼が家畜を襲う一連の騒動だった。
木につながれた羊と、忍び寄る狼
発端は、崖の上の木につながれていた一頭の羊。そこへ、親子とおぼしき狼の群れが林の中を走ってくる。

次のカットでは、つながれていたはずの羊はすでに血だまりの中に倒れている。画面に走る白い曲線は、争いの激しさをそのまま形にしたような演出だ。

続けて、獲物を巡って狼同士が争うアップ。そして木の陰から、大人の男が二丁の猟銃を構える。


羊が襲われ、大人たちが猟銃で応戦し、その渦中でカトリ自身も棒を握って何かと対峙しようとする。これがあの叫びのカットの正体だった。
「アンには狼がいない」という違和感
ここでふと立ち止まる。同じ世界名作劇場、同じ「開拓地に生きる少女」の物語なのに、赤毛のアンには狼が出てこない。アンの世界で子どもが震えるのは、陰口や失敗、誰かに嫌われることへの不安であって、命そのものが獣に狙われる恐怖ではない。
この違いは単なる演出方針の差ではなく、舞台となった土地の地理・歴史に根がある。
なぜ駆除できなかったのか — 島と大陸の違い
アンの舞台、プリンスエドワード島は面積5,600km²ほどの島。19世紀末にはすでに開拓が進み、狼のような大型肉食獣は駆除され尽くしていた。島という地形が決定的だった。一度駆除してしまえば、海を越えて狼が再侵入してくることはない。
一方、カトリの舞台フィンランドは国土の約75%が森林に覆われた大陸国家で、東側は地続きでロシアと接している。国内で一時的に個体数を減らしても、隣接する広大な原生林から狼が入ってくる。加えて当時の人口密度は低く、農家は点在していたため、行政主導の広域駆除より、各農家が猟銃や柵で個別に自衛する方が現実的だった。
作中で描かれる猟師の姿は、決して「無防備に狼を放置している」わけではない。害獣として実際に駆除の対象にはなっていたが、地理的な条件から根絶までは至らなかった、というのが実態に近い。事実、フィンランドは現在も欧州で野生の狼が生息する数少ない国の一つである。
脅威の質がちがう、ふたつの「開拓地の少女」
| 赤毛のアン | カトリ | |
| 脅威の種類 | 社会的(陰口・失敗・見栄) | 生存的(狼・天候・労働災害) |
| 子どもの役割 | 想像力で世界を彩る主体 | 労働力として現実と対峙する主体 |
| 「怖いもの」 | 人の目、失望されること | 家畜が殺されること、生活が壊れること |
| 武器の出番 | ほぼなし | 大人が普通に猟銃を持つ |
| 土地の条件 | 島・開拓済み | 大陸・広大な原生林・隣国と地続き |
同じ「開拓地に生きる少女の物語」という器を使いながら、アンとカトリでは怖いものの正体がまったく違う。それは脚本の違いである以前に、島国と大陸国という土地そのものの違いが生んだ距離だったのかもしれない。